2013年05月21日

山寺50年に一度の御開帳

yamadera900 00 00-00_R600.jpg 今回の旅は、久しぶりの通常のバスツアー。何が通常かといえば、滞在型ではなくラウンド型の旅行。近年こうしたラウンド型の記憶は、勿論国内旅行に限ってではあるが、めっきり少なくなってきている我が家である。
 旅の目的は、50年に一度しか開帳されないという、山寺の根本中堂にある薬師如来像を拝むこと。50年前に知っていたとしても、おそらくはそうしたことに興味を示す程の歳にはなっていなかったから、まぁ人生の中で最初で最後のチャンスだ。これを見逃せば、墓場に入ってから出なければ見ることはおぼつかない。というわけで出かけたツアーだった。
 といっても、利用するのは国内旅行のおおかたで使う、C社。その中でも、開帳の見学時間が一番長いコースを選んだ。そのために、出発地は千葉県の津田沼駅集合のコースになった。初めての集合場所だったが、たいした苦労もなく見つけ出すことが出来た。
 肝心の御開帳は、連休中は3時間待ちもあったと言うことで、添乗員は若かったので会社の言うなりに、「見られない可能性もあります!」と宣もうた。しかしそれは杞憂で、混雑という程のこともなく、かなりゆっくりと見ることが出来た。どうあがいてもこれが最後の見納めと思うと、そのお姿に引き込まれそうになった。
 今回宿泊したのは仙台の奥座敷である、秋保温泉。初めて秋保温泉に入ったが、温泉の感動は味わえなかった。食事などは大変い満足だっただけに、やや残念ではあった。アルカリと言うが、すべすべ感はあまりなかったし、何よりも湯がカルキ臭かった。
 旅のもう一つの目的は会津。今年の大河ドラマの主人公の出生の土地。人生の若き日の舞台が会津だ。去年の清盛の時の神戸や坂本龍馬の時の高知に引き続いての、大河ドラマの地の訪問になった。我々は来年の舞台の姫路も先に見学しているので、まぁミーハーもいい所ではある。
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旅行を終えて

 今回の旅行は津田沼からだったが、まぁありかと思う。しかしながら、柏のように東北道に直ぐに乗れるわけではないので、今回のような特別な行事でもない限り、やや不利かとも思う。

 それから現地のガイドさんが付いてくれた場所が3カ所あったが、いずれも慣れていて、非常にためになった。個人で行ったときに過去一回だけ経験があるが、こうしたガイドさんを頼むのも一つだと思う。今回のツアーはその点でも良かった。

 会長はゆっくり見られたし、八重の桜の地も訪れることが出来て、まずまずの旅だった。
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<参考>JRを地下鉄東西線を挟んで乗った場合の運賃

 ekitanのページのよれば、乗り方によって三鷹〜JR〜中野〜東西線〜西船橋〜JR〜津田沼の運賃は、590円・620円・780円の三種類の運賃が出てくるという。これはすこぶる大変な話だ。

 いろいろ歴史的な経緯もあるようだが、それはさておいて、第一の場合は、ほくほく線経由で金沢に行く場合などと同様な計算が成されるらしい。つまり両端のJR区間の運賃計算キロの合算額に、地下鉄の料金を上乗せした料金。これは現金での場合。第二のケースはスイカなどで西船橋のJR<>東西線乗り換え改札口を通過した場合。これは電子マネーの計算がこれに追従していないらしく、西船橋でいったん改札口を出た場合の計算と同様になる。第三の場合には、地下鉄が中野から津田沼に直通するケースの場合。JRを通しで乗ったのと同じ計算になり、偉く実は高い物になる。

 これについてJRに問い合わせたが、電話に出た人はこのことが直ぐには応えられず、折り返しの電話になった。しかも省略するが、やや不正解な回答だった。帰路津田沼で中野までの切符を買って西船橋で地下鉄に乗り換えてJRの駅で降りたが、その駅の改札の人はこのルールを熟知していた。
 実務経験がない人が応えると、間違いが起きるという典型的な例。
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2013年05月18日

2.5月18日(土) 会津 (快晴)

起床(0520)朝食(0645〜)ホテル発(0800)会津藩校日新館(0950〜1050)昼食(1115〜1205)鶴ヶ城公園(1205〜1320)飯盛山(1326〜1430)大河ドラマ館(1440〜1510)バス発(1510)津田沼着(1950)津田沼発(1956)西船橋発(2010)
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2−1 朝

起床(0520)朝食(0645〜)

 起床してから風呂に行った。今度は別館の風呂に行ったが、こちらの方がやや趣があった。しかし泉質は当たり前ではあるが、変わりはなかった。
 朝食もビュッフェ。こちらも夕食ほどではないが、いろいろあった。ただ今日は昼食が早いと言うことなので、そう食べるわけにも行かずいささか残念だったが、体にはよいかもしれない。
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2−2 会津へ

ホテル発(0800)=<仙台南IC(0812)村田JCT−郡山JCT−磐梯河東IC(0942)>=

 会津に行ってみて分かったことだが、今会津は八重一色だった。どこに行っても、マスコットキャラクターの八重たんの幟があった。
 会津へはほぼ高速で行ける。高速を降りると直ぐに日新館に到着した。
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posted by jun&nori at 22:00| Comment(0) | 日記

2−2−1 会津藩校日新館(0950〜1050)

 最初に尋ねたのは日新館。いわゆる藩校の一つ。八重の桜で出てくる「ならぬことはならぬものです」を全面にいただく「什の掟」を実践した藩校。この什というのは、日本語版ウィキペディアによれば『町内の区域を「辺」という単位に分け、辺を細分して「什」という藩士の子弟のグループに分けた。什では「什長」というリーダーが選ばれ、什長は毎日、什の構成員の家の座敷を輪番で借りて、什の構成員を集めて「什の掟」を訓示した。什の掟は7ヶ条からなる。』という。つまり、小学校における地区班のようなモノだろうか。
 ここは初めて来た。戊辰戦争で消失したものをかなり忠実に再建したモノで、規模がかなり大きい。ぐるっと回遊してみるようになっており、ここで行われていたことがジオラマで表現されている。ただこの藩校は江戸末期に立てられたために、実際に使われた期間は70年間ほどに過ぎない。しかしながら、明治期に活躍した人材を多数輩出したことは特記されるべきだろう。詳しくはホームページを参照。
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2−2−2 昼食(1115〜1205)

yamadera271 18 11-37_R600.jpg 次に向かったのは鶴ヶ丘城。ここで昼食になる。我が家は東京から持ってきた調理パンを食べた。
 まだ朝ご飯がおなかの中に残っているようで、食欲はいまいちだったので、この程度でちょうど良かった。
posted by jun&nori at 20:00| Comment(0) | 日記

2−2−3 鶴ヶ城公園(1205〜1320)

 昼食が終わると鶴ヶ城の見学となる。ここでもガイドが付く。今度はバス毎のガイドだ。ただ26人になると少し多すぎる感じがした。
 と言ってもここのガイドさんは庭園部分を説明するだけだった。城郭そのものは廃藩置県で壊されてしまったので、ここも再建。場内は撮影禁止の場所が多く、天守閣からの眺望を撮影しただけ。人の流れに並があったが、ここはかなり混んでいて、時に観覧するのが大変だった。
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posted by jun&nori at 19:00| Comment(0) | 日記

2−2−4 飯盛山(1326〜1430)

 三カ所目は飯森山。ご存じ白虎隊の隊士の一部が自刃した場所。ここもガイドが付いた。こうした現地のガイドが付いて回ると、今まで行った土地もかなり見方が変わる。
 第一はローマ市(ムッソリーニ)から送られたローマ市寄贈の碑。白虎隊の話に感動したムッソリーニが古代ローマの円柱と共に送ったモノ。頂上にはローマ市章のワシが羽を広げている。これも見た記憶がない。この円柱を揚げるために、今登ってきた急峻な階段の場所が切り開かれたという話だ。
 それから白虎隊の自刃地も初めて訪れた。墓ばかりに気を取られて肝心の場所を見忘れていた。それから白虎隊は当初城に入ることを目指したが、敗退する家庭でかなりの人数散り散りになって行ったことなども初めて知った。猪苗代湖の水を農業用につかう灌漑用水路を通って撤退したことなども初めて知った。隊士の格好も、様々だったらしい。
 極めつけは「さざえ堂」。江戸時代に建てられた物で、白虎隊とは無関係だが、その構造がレオナルドダビンチが設計したと言われているフランスのシャンポール城と同様の設計だ。時間が無くて入れなかったが、今度是非とも訪れてみたい。
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posted by jun&nori at 18:00| Comment(0) | 日記